芸妓について
熱海温泉郷の歴史と文化を纏う熱海芸妓
熱海は言わずと知れた温泉郷。明治初期から温泉保養のため熱海に滞在した豪商、実業家、公爵の方々をおもてなしする遊芸師が誕生したことから熱海芸妓の歴史が始まりました。芸妓の魅力は外観だけではありません。歴史の中で脈々と受け継がれた確固たる伝統と多彩な技が、彼女たちの風雅のバックボーンとなっています。いわば芸妓たちは、着物と共に悠久の時間をまとっているのです。
熱海芸妓の歴史の一部をご紹介しましょう。 | ||
明治10年 | 板東三代吉師は樋口ろく遊芸師として熱海浜町に居住して、宿屋にご滞在のお客様に稽古の相手をしていました。これが芸妓の祖となっています。 | |
大正元年 | 三代吉師の後継者である喜久さんの妹である「若椙はな」が「春の家お花」に遊芸師が受け継がれました。 | |
大正14年 | 熱海駅開業。東京方面からのお客様が熱海温泉に多く訪れました。 | |
昭和7年 昭和11年 |
熱海芸妓組合(浜町芸妓見番)が設立され、遊芸師が芸妓と呼ばれるようになりました。 芸妓、元遊芸師は、195名になりました。 |
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昭和25年 | 熱海大火があり、置屋も大分焼け出され組合の事務所も転々としていました。 | |
昭和29年 | 現在の組合の建物が完成し、4月1日・2日の2日間落成を祝いました。当時としては立派な建物で、東海一の芸妓組合と言われました。 | |
平成2年 | 永年念願だった「熱海をどり」が開演され、その開期は毎年4月28日・29日と決められました。 | |
平成10年 | 「芸妓見番ぶらり―湯めまちをどり華の舞―」と称して、芸妓見番歌舞練場が公開されています。 | |
※熱海芸妓組合 資料より |